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豊臣秀吉はしつこい性格だった?細かい手紙の内容が面白すぎる!

羽鳥慎一のモーニングショーでとても面白い特集をやっていました。

 

豊臣秀吉の書いた手紙が見つかったそうで。

それも33通!

(1583~1593の間にかかれたもの)

 

当時の武将の人柄が分かるような手紙が沢山見つかるというのは、大変珍しいことのようです。

そんな貴重な手紙からみえてきた秀吉の人柄ですが・・・。

 

 

~とある手紙のいきさつ~

豊臣秀吉が、部下である脇坂安治(わきさかやすはる)に材木集めを命じたところ・・・

秀吉「天皇の住まいを造るため、伊賀で材木を集めろ。」

安治「材木集めはイヤ。戦で手柄をたてたい。」

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まず、この時点でビックリですよね。

天下の秀吉にイヤだゆうてるし!笑

 

そこから、約2か月で7通にわたる材木に関する秀吉から安治への手紙。↓

 

7月2日  )材木担当を命じたのにたるんどる!しっかり材木を送れ!

7月6日  )何本かわからん!送った材木何本と書け!

7月25日 )戦に行きたいというが指示した本数の材木を出せ!

8月12日 )橋の柱につかう材木40本出せ!

8月18日 )早く橋の柱の材木出せ!

8月25日 )材木輸送が遅い!

8月27日 )材木はどうなったんだ!!

 

す、すごいですね(;゚Д゚)

 

今と比べて手紙を送るのも大変な時代であったことから、現代でいうと5分おきにメールしているようなものですよね~と宇賀アナウンサー。

最後の2通なんか、返事が来る前に送ってますよね!?とはコメンテーターの玉川さん。

(っていうか安治、ここまで上司にせっつかれてんだからきちんと材木出そうよ!笑)

 

さらに、秀吉の正妻ねねの兄の子孫である、木下さんからのコメントまでパネルで登場!

木下さん「秀吉は”しつこかった”と先祖代々伝えられています」

    「私はしつこくありません」

 

なんだそりゃ。笑

パネルの記載とともに「ちなみに、木下さんはしつこくないそうです」と言う羽鳥アナウンサーに、高木美保さんが失笑していました。(^^;

 

秀吉は、一から会社を作り上げたワンマン社長みたいなもので、何でも自分でやりたい!俺だったらこうやる!え~い、かせ~い!ちゃんとこうやらんかい!

ってな感じだったのではないかと解説の浮世さん(←本名ですって!)が言っていました。

 

歴史上の人物のそんな一面まで浮かび上がってくるなんて、すごく面白いですよね。

 

 

また、秀吉の部下への口癖で「曲事(くせごと)」という言葉が手紙の中で非常に良く出てくるそうなのですが、これは「けしからぬ事、にがにがしい事柄」で現代語訳でいうと「ふざけるな」だそうです。笑

 

口癖というのはその人の人柄を良くあらわしていたりするので、秀吉は結構激しい気性の持ち主だったのかな~?

 

他にも、”あの人”を呼び捨てにする手紙が見つかっているそうで。

 

”あの人”というのはなんと、織田信長です!

敵前逃亡した部下を追い出した際に、

”信長”の時みたいに、かくまっても大丈夫と思うな!」という手紙を書いています。

信長の時はかくまってもOKな場合があったのでしょうか?でも俺の時はダメだからな!という感じ?

 

秀吉は信長をすごく敬っていると思っていたのですが、なんだかイメージが変わりますね。

 

この時代、武将の名前をそのまま呼ぶというのはほとんどなかったそうで(役職で呼んでいたみたいです。右大臣とか上総介とか)、そういったことからも、この手紙が非常に内々のものであることが分かりますよね、ということでした。

 

また、非情だと言われていた信長が、実は優しかったのでは?というのもこの手紙からみてとれます。

 

秀吉は”人たらし”であったとも言われていますが、普段の指示などは分かりやすいように字の上手い部下に書かせ、手柄をたてた時などに直筆で書いていたようですね。

当時は字の上手な部下に代筆させるのはごくごく普通のことだったそうです。

そうすると、直筆でもらえるのは特別な感じで部下にとっては嬉しかっただろうな~。

 

また、「お前のことは兄弟のように思っている~」と部下に宛てて書いたり、他の女性と旅行している先から妻に「愛しているのはお前だけだ」と書いた手紙を送ったりもしているようです。そういうところが人たらしと言われる所以でしょうか。

 

なんだか現代にも通じるものがありますね。笑

 

<昔と違う武将の常識>

 

戦国時代の武将の性格について現代で言われていることというのは、ほとんど江戸時代に創作されたもののようです。

 

信長(殺)「鳴かぬなら、殺してしまえ、ホトトギス

秀吉(鳴)「鳴かぬなら、鳴かせてみせよう、ホトトギス

家康(待)「鳴かぬなら、鳴くまで待とう、ホトトギス

 

ものすごーく有名なこちらの記述、なんと今、教科書に載ってないそうな(゚д゚)!

先入観を与えるような記述はどんどんなくなっていっているとのこと・・・。

 

このホトトギスの話からみると、一番”短気”だったのは信長のように思いますが、実際に一番短気だったのは家康みたいです。

(えーーーー!)

若い時は「俺は部下の背中を見て戦ったことがない!」というくらい、先陣切って向かっていくタイプだったらしい家康。

関ヶ原の戦いでなかなか裏切らない小早川に対して、「早く裏切らせろ!!」「もう鉄砲ぶち込め!!」と、それはそれは短気な人物だったようです。(ビックリ!)

 

 

歴史の常識って変わっていくんですね~。

子どもに教えられんじゃん。